** 鄙鳥 拓実×智裕 **


不承不承柊の元に顔を出したはいいが、案の定いつもと一音一句変わらない言葉を聞かされ、一音一句変わらない返事をし。それでも柊は智裕が自分の店の坊、ひいては自分の雇い主になるかもしれないことを考えてか、一貫してこちらを立てる言い回しをする。そのくせ態度には『何で俺がこんなこと』というのが、日をおうごとに出てきている。こっちが限界なら、あっちも限界なのだろう。なのに未だこの参詣をやめないのは、よほど自分の父という人間を信頼しているということことか。

「あーもう、いっそどこかへ身を隠しちゃおうか」

幸い年季奉公の無い智裕だ、稼いだ分から見世に収める金額を引いた全ては自分の取り分として日々貯まっていく。この仕事もかなり長いので、ここを出て当面生活する分ぐらいは困ることは無い。ただ、いつまでもふらふらはしてられないので、別の仕事を探さなくてはならないだろうが。
そこまで考えて、それもまた無駄なことかもと思う。何せ、自分だって知らなかった出自を調べ上げてここを突き止めた柊のことだ。どこへ逃げても追ってくるに違いない。という事は、本当にどこかで決着をつけない限り、ずーっとこのままなのかと改めて智裕は大きなため息をついた。

「散歩行ってこよう」

自室でうだうだしてても埒が明かない。それにいくら器用な智裕とはいえ、このままの気持ちでニコニコお客に接するなんてどんな拷問かと思う。気分転換もかねて花街の中を少しふらついてこよう。そう思い立つが早いか、接客用の華美な着物を脱ぎ捨て身軽になると、自室を飛び出す。

「うわっ」

と同時に廊下に立っていた進哉と危うくぶつかりそうになった。

「ごめん、一ノ瀬。大丈夫だった?」
「…うん、ちぃも…」
「僕は平気。あ、もしかして僕に何か用?」

色子たちに何か用を言いつけられた時でもなければ、進哉が色子の私室に来ることはあまり無い。ただ、智裕の部屋だけは別だった。智裕の母が亡くなる前、小さい時から兄弟のようにして育った二人ならではの交友。進哉はあの頃からこの『鄙鳥』で下男をしていた。噂では桐野がどこからか拾ってきたらしいが、進哉自身も良く覚えていないぐらい小さいときの話なので、この詳細は桐野に正すしかないだろう。しかし、そんなことは関係なく、お互いがお互いを信頼してこれまでやってきたし、これからだってそうだ。

「…ちぃ、大丈夫……だったかと思って、俺」

柊とのやり取りを聞いていたわけではないだろうが、今更語るまでも無いぐらい智裕がこの件に嫌気が差していることを知っていて、様子を見に来てくれたらしい。

「心配してくれたんだ、ありがとう。大丈夫だよ」
「そう…か?」
「そうそう、でも、ちょっと気分転換に散歩行ってくるね。桐野さんに時間までには戻りますって言っといてくれる?」

本当になんでもないよというそぶりで進哉にお礼を言ってみるものの、きっと見透かされているだろうな、と智裕は思った。現にその通りで、わずかに進哉の顔がいぶかしそうに歪んだが、言っても仕方ないと思ったのか小さくため息をついて『わかった』と答えた。





意気揚々とは行かないまでも、建物から外に出るだけでもかなり気分は晴れてきた。花街ではまだ時間がゆっくり流れる頃合。人通りもまばらで客引きの遊女も少ない。街を歩いているのは使いのものがほとんどで、この時間に歩いていると、一瞬ここが色を売る街であることを失念してしまいそうだ。
それでも、何人かの顔見知りには声をかけられる。閉鎖された街だからそれも致し方なかろう。けれど、そんな街だからこそ、智裕は生きてこれたのかもしれない。

「あれ?」

あてどなくふらふらと回遊する智裕の目に、どこかで見たような男が映った。明らかに商人と思われるいでたち、けれど着ているものの程度から見ると、さほどの金持ちというわけでもない。という事は客として会ったわけじゃないということだ。もっとも聡い智裕のこと、一度でも客として入ってもらっていれば、顔や名前を忘れるなどありえないこと。

「いったいどこで…?」

思案顔を隠すことなく見つめる智裕に気づいたのか、男がいぶかしそうにこちらを見る。その顔が、すっとそらされたとたん、智裕の記憶がつながった。そうだ、今日も見たあの司のことを影からこっそり眺めている男だ。正面からの顔より後ろからの方が見慣れていたため、一瞬それとはわからなかった。
しかし、想像していた通り花街へ使いに来ているらしく手には風呂敷包みを持っている。その中身が何なのか、智裕はちょっと興味を惹かれた。

「ねえ、お兄さん。その包みって何?」

大して広くない通りだ、智裕が声を張り上げずとも、問いはその男の耳に届いた。足を止め、先ほどと同じいぶかし顔をこちらに向ける男に、智裕は最上級の笑顔を向けながら近づくと、その風呂敷包みに手をかけた。

「これ、お使い物? お兄さんよくここに来てるよね?」
「あ、ああ…お前、誰だ?」

幾分身体を智裕から引き気味にしたものの、男は智裕の問いに答えてくれた。

「僕? 僕はこのちょっと先の見世『鄙鳥』の色子」
「――鄙鳥?」







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