** Forme d'esprit **


 「うーん、今日もいい天気」

 人の少ない午前中の路地は、暖かい日差しが木漏れ日となって降り注ぐ。心ごと暖められていく気がして、智裕は大きく深呼吸をした。
 店の定休日の拓実の家への訪問は、もうしばらく前から智裕の休日の日課となっていた。
 片手にはこれまたいつものことになっている昼食の食材をぶら下げて。
 拓実の料理に舌鼓を打つのも訪問の目的のひとつではあるが、全てではない。
 とはいえ、いったい何をしに拓実の家を訪れているのかと問われると、首を傾げるしかないのが本当のところだ。

 徐々に強くなってくる日差しと戯れながら歩くうち、見慣れた建物が姿を現す。中でも一番見知った扉の前に立つと、その脇に備えられているインターフォンを押した。

― ピンポーン

 乾いた音が室内に響いたのが扉越しにも聞こえる。
 が、特に中からアクションは起こらない。それもそのはず、拓実とてこの時間の来訪者が誰であるかは百も承知だ。
 しょっちゅう訪れる智裕に最初のころはきちんと扉を開けて対応していたのだが、キッチンで試行錯誤をしている最中とかは手が離せなくなることも多い。

 『智裕、これ持ってけ』

 合鍵を渡されたのは智裕が来るようになって一ヶ月も過ぎたころだっただろうか。
 それ以来、一応インターフォンは鳴らすものの、その合鍵で扉を開いてきた。

 「三原さん、来たよー」
 「おう、暑かっただろ? 入って涼んでろ」

 案の定キッチンに立つ拓実に頷き返すと、靴を脱ぎすたすたと部屋の奥へと入り込む。

 「あ、今日はね、ホットサンドが食べたいなーと思って。材料これね」

 手に吊るして来たビニール袋をキッチンのテーブルの上で開く。中から出てきたのは黒々と丸いアボカド。

 「智裕」
 「何?」

 ごろりとテーブルに転がったそれを見て、拓実が苦笑した。

 「これだけかよ」
 「いいじゃない。どうせほかの中身は三原さんが見繕ってくれたほうが美味しいんだし。ただ、今日はどうしてもアボカドが食べたい気分だったの」

 ね、と少し身体を屈め拓実の目元を覗き込むようにして智裕が甘える。そんな仕草に拓実の目がすっと優しく眇められた。

 「まったく、しょうがねーな、智裕は」

 わずかに湿った手のひらがオレンジの髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。こういった子供扱いをされるのに最初こそ戸惑った智裕だったが、いつの間にかそれが心地よく感じるようになっていた。

 「さてと、後はこれを冷やしてっと」

 智裕が来るどのくらい前からキッチンに向かっていたのか、テーブルの上にはバッドに小降りのカップが四つ並べてあった。これからの季節にもってこいのゼリー。わずかに生地から顔をのぞかせた桃が仄かな甘さと酸っぱさをもたらすであろう事は、見た目からでも容易に想像できた。

 冷蔵庫の中にそれらをしまうと、引き換えるように数種類の野菜とベーコンを取り出す。それらを軽く刻み、更に智裕が持ち込んだアボカドを手馴れた包丁さばきで薄く切る。

 「ディップ作ってもいいんだけどな、アボカド、食いたいんだろ?」
 「うん、よろしく」
 「あいよ」

 拓実の作るアボカドのディップも絶品だが、今日はどうしてもそのままで食べたい気分だった智裕は、拓実の言葉に嬉しそうに相槌を打った。

 切りそろえたアボカドを粒マスタードとフレンチドレッシングを混ぜたものに潜らす。酸味がアボカド独特の青臭さを削いでくれ、ぐっと食べやすくなる。それを耳を落としたパンに挟む。ほかにカリカリに焼いたベーコンも挟んで、程よく温めておいたホットサンドメーカーへ。

 ぎゅっと詰まった旨みがパンに染み出していくのを鼻で感じながら智裕はホクホクと拓実の後姿をみつめた。

 「何だよ」
 「なんでもないよー」
 「そっか?」

 程なくホットサンドが焼きあがり、二人でちょっと早めのランチ。
 もちろん味は文句なし。智裕の笑みは更に深くなる。

 二人何をするでもないこういった休日が智裕はとにかく好きだった。
 どこに出かけるでもない、かと言って顔をつき合わせて話をするでもない。智裕がスケッチブックを広げている時もあるし、本を読んでいる時もある。
 その傍らで拓実は拓実でレシピを書いていたり、その内容を実際に作ってみたり。ふらりと食材を買いに出ることもある。その時は智裕が付いて出ることもあった。
 が、基本的にはお互いがしたいことをただ一緒の空間でやっているだけで、各々自室で過ごす休日となんら変わりはない。

 だから、何をしに来ているのかと聞かれると、答えに窮するわけなのだが。

 「今日のレシピはお店用?」

 先ほど冷蔵庫へしまいこんだゼリーをさして、智裕が言う。
 拓実が休日に作り上げるレシピの全てが店に並ぶわけじゃないと気づいたのはいつのことだったか。別に並ばないものが並ぶものに劣っているわけではないのは、何度となく試作を食べさせて貰って来た智裕には良くわかる。

 「いや、これは別。智裕、後で感想聞かせてくれよ」
 「うん」

 一度どうして並べないのか聞いてみたことがあるが、拓実からはっきりとした答えを得ることはできなかった。
 なので、なんとなくそれらは『秘蔵のレシピ』なのではないかと智裕は当たりをつけている。ストックというにはあまりに多すぎるそれらは、きっと拓実がひとり立ちする時のために、厳選しているのではないかと。
 その自分の勝手な思い込みが、必ずしもそれだけに留まらないことも、智裕は拓実の態度や言葉の端々で感じ取っていた。

 そして、その時に少なからず自分が力になれれば良いと漠然と将来に思いを馳せていた。






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