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 やっとのことで本日全ての仕事を終えた喬志は、柊がハンドルを握る車の後部座席にぐったりと身体を沈めていた。
見るとは無しに眺めた車窓を流れるのは、物悲しいネオン煌く都会の夜景。全てが遠くに聞こえて自分の存在が消えていくような気分だ。

「神沢、聞いてるのか?」
「はーい、なぁに?」

柊の厳しい視線がルームミラー越しに喬志を見つめてくる。それにひらひらと手を振って答えると、ふう、と、小さなため息が漏れた。

「明日、九時に迎えに来るって言ったんだ」
「りょうかーい」

既に十一時を回っているのだから、このまま帰宅すれば日付が変わるギリギリぐらいだろう。たっぷり睡眠時間はとれそうだ。

「んじゃー、おふろはいってー、ごはんたべてー、それからー、よーちゃんにお電話、しようカシラ」
「神沢」

チラリ、とルームミラーに目を向けるまでもなく、わずかに怒気を孕んだ声音で名前を呼ばれ、喬志は首をすくめた。
柊は葉の事となると俄然別人になる。大事で仕方ないのも伝わってくるし、隠しているつもりだろうが実はかなり嫉妬深いのも筒抜けだ。コレに気付いているのはおそらく自分と恭一ぐらいのものだろうが、それならそれで特権だとばかりに、からかって楽しんでもかまわないと思う。
からかい過ぎて、たまに葉に『程々にしてあげて』と言われるのもまた楽しい。

(そーゆーイミじゃあ、よーちゃんのほうが大人よねぇ)

恋愛を軽く楽しんでいたはずの方が、どっぷりとハマっているなど滑稽でもあるが、二人が幸せそうならそれが一番だ。

(ま、せっかくのオウセを邪魔しちゃいけないわよネ)

喬志を送ったその足で葉の家に行くのか、それとも既に葉は柊の部屋にいるのかわからないが、今夜二人で過ごすのは間違いないだろう。

「ラブラブでうらやましいワ」
「なんだ、恭一今夜は来ないのか?」
「ナニソレ」

ポツリと呟いた独り言に、会心のカウンターを喰らって、喬志が眉間に皺を寄せた。
柊が知らないと思っていたわけではないが、ずばり言われると臍を曲げたくなる。むっとした顔を背けてルームミラーから見えない位置に移動すると、ククッと不快な笑いが耳に届いた。

「効果覿面だな、葉に感謝しないと」

つまり、この切り返しは葉の入れ知恵らしい。さすがの喬志も葉にかかってはこの様だ。悔しいがここは認めて引き下がるしかない。

「はいはい、アタシがわるーございました。でもひーらぎサンも仮面はがれてるワヨ。『葉』じゃなくて『小野塚』デショ」
「ああ、そうだな」

肩の力が抜けたのか、うっかり恋人を呼んでしまった柊を、悔し紛れに注意してみる。が、それも素直に認められてなんとも面白くない。
今度こそ喬志はシートに深く身体を沈めて、視線を車窓の外に向けた。
しばらくすると風景は喬志の家の近くに変わってくる。後、数分程で到着だ。

――ブーンブーン

静かな走行音に紛れて小さな振動が着信を知らせる。自分のかと思いポケットから取り出してみるものの、画面は暗いまま。
ということは。

「止めるぞ」

後ちょっとではあるが、このまま携帯に出るわけにも行かず、仕方無しに柊が車を路肩に寄せて止める。そのまま内ポケットから携帯を取り出し、通話ボタンを押した。

「はい、お疲れ様です。はい……」
この口調からすると、相手は的場か社長だろう。長くはならないかもしれないが、なんとなく外の空気が吸いたくなり、喬志はドアを開けて車から降りた。
見回せば本当に喬志の家までわずかの場所であることがわかる。ここからなら歩いて帰るのもやぶさかではない。
閉めたドアをもう一度開け、シートに投げ出してあったカバンを引きずり出すと、ぐるりと周って運転席の窓を軽く叩いた。

「ひーらぎサン、俺、帰るわ」

歩いていこうとした喬志の腕を、スーッと開いた窓から柊が取る。振り払うほどのことではないので、喬志もしばし引き止められた。

「はい、神沢も一緒です。え、でも……はい、わかりました」
「終わったの?」

喬志の腕を取ったまま柊が向けた視線は何か言いたげだったのに、電話を切ったとたん、それはなりを潜めた。

「ナニ?」
「いや、明日の迎えの時間、忘れるなよ」
「わかってるってバ」
「ならいい、じゃあな」
「サヨーナラー」

おどけて挨拶をする喬志を一度だけじっと見つめてから、柊は車をスタートさせた。車はあっという間に夜の闇に解けて消える。
それら一連の出来事を不振に感じつつも、喬志は一路自宅へとゆっくり足を動かした。






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