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** 新しい世界 **


 姉貴が。恭子が自ら命を絶ってしまった時自分の中にいきなり現れた虚無感。それは成長するごとに大きくなっていった。
 数年前に深町の存在を知ってから俺はあいつに怒りを向けることでこの虚無感を忘れようとしていたんだろう。
 姉貴の言っていた『あの人』。それこそが深町と信じ、あいつが姉貴を自殺に追いやった張本人だと思った。
 でもあの赤い表紙の本を見せられ、真実を知った時。そして自分の寿命の短さを知らされた時、俺は今まで何の為に生きてきたのかわからなくなってしまった。
 そしてその不安や憤り全てを深町にぶつけ、あいつを……。

「くそっ!」

 俺はあの時、何を思った? 何を求めた? 同情の視線を向けるあの男に――。

    ◆◇◆

 どうやって家に帰り着いたのか憶えていない。気がついたらアパートに戻りベッドに寄りかかるようにして俯いていた。
 自分が姉貴のように自殺するなんて考えられなかった。今この時だって俺は自分の死が訪れるのが怖くて仕方ない。そんな俺が、どうして進んで命を絶つというんだ。

『魂の色が赤に変わった人で、死を避ける事が出来た人はいません』

 はっきりと、そして悲しそうに深町の告げた言葉が俺のかすかな望みも打ち砕こうとしていた。
 信じられないだろうといいつつも俺に真実を告げた深町。今までまったく取り合わなかったくせに。

『思い残す事がないように』

 そう言っていた。
 あいつの言う通り、真実を知って俺は思い残す事がなくなったのか?
 姉貴の死が俺を生かしていたのか?
 だったら全てを知った今、俺は死んでも構わないと思っているのか?
 ―― どれも『否』だ。
 俺は生きたい。まだ死にたくない。まだ俺は何もしてない―――。

  ◆◇◆

 それから朝は二度明け、三度目の夜が訪れていた。

 ―――― ピンポーン ――――

 来客を知らせる音が室内に響く。いやだ。誰にも会いたくない。身動き一つせずにいる俺に、今度は遠慮がちな声が扉越しに聞こえてきた。

「……真部くん。いるんでしょう?」

 深町だ。

「………真部くん…」
「……何しにきた」

 くぐもった深町の声に俺のかすれた声が答えた。

「あの…君に読んで欲しい物があるんです」

 これ以上何を読めと? 赤い表紙の本が全てだと、そういったのは深町じゃないか。

「うるさいっ! 俺のことはもう放って置いてくれ!」
「これで最後です。これだけは、君にどうしても読んでもらわなくちゃだめなんです」

 こんなに熱心に話をする深町を、俺は知らない。

「お願いです」

 開かれぬ扉をたたく事もせず、強い意思を含んだ声だけが辺りに響く。

「帰ってくれ」
「……ここに入れておきますから」

 カタンと新聞受けになにか落ちた音がした。とほぼ同時に深町の靴音が俺の部屋の前から遠ざかっていく。そして元の静寂が訪れた。
 何もする気が起きなかった。

『君はお姉さんがそうしたように自ら――』

 ああ、今なら分かる気がする。俺はもう、死んでしまいたかった。こんな先の見えない感情から逃れる術はそれしかないのかもしれない。
 姉貴は家族の愛情を捨てて『あの人』の許へ行ってしまった。そんな姉貴が今は羨ましくも思える。死ぬほど恋しい人。そんな人が待っていてくれるなら、死はそれほど恐ろしいものじゃないのかもしれない。

『君にどうしても読んでもらわなくちゃだめなんです』

 めんどうだ。今更そんなもの。

『これで最後です』

 最後。そうだな、もう終わりにしよう――。
 重だるい身体を持ち上げ、引きずるような足取りでキッチンに向かう。シンクの引き出しを開け、そこから小さな果物ナイフを取り出した。
 どうせなら、姉貴と同じ最後を。そう思って風呂場へと足を向ける。

『お願いです』
 玄関を横切ろうとした俺の目に映り込んだのは深町の置いていった物。
 今更何を――。
 そう思ったはずなのに、俺は吸寄せられる様に新聞受けを開けた。入っていたのは数十枚にわたるコピー用紙だった。どれもびっしりと文字が印刷されている。

「これで最後だ」

 そうだ、最後だ。だから、深町の頼みを聞いてやってもいいか。
 姉貴に置いていかれたもの同士として。

 ―――――― バサバサバサッ

 読み終わり、疲れて眠り込んだ俺の耳に届いたのは鳥の羽音だった。

    ◆◇◆

「琉宇くん。真部くんが遊びに来てくれましたよ」

 そう言って扉を開ける深町に続いて、俺は部屋に入った。驚いたように見開かれるチビの瞳を見たとたん何故か暖かくなるものを感じる。深町の言葉を、あの紙の束に書かれていた言葉を信じたい一心でここに足を向けたんだが、図らずも俺は琉宇を見て確信してしまった。

 ―― 姉貴だ。こいつは姉貴なんだ。

「……なあ。おまえ、今幸せか?」

 不躾な俺の質問に、琉宇は子供独特の無邪気な表情を浮かべて『幸せです』と答えた。

『ようやく出会うことが出来ました。あれほど恋い慕っていた相手に』

 良かったな、姉貴。
 純粋な喜びと、姉貴に必要とされなかった寂しさが入り混じる。

『願わくば、永遠に幸福でありますように』

 ―― 深町。
 ああ。幸せでいて欲しい。永遠に。

「また遊びに来てくださいね、真部さん」
「ああ、また来る」

 穏やかな笑みに見送られ、俺は玄関へ続く廊下へと歩を進めた。

「真部くん」

 靴をはき、玄関の扉へ手をかける。

「本当に、またきてくださいね。琉宇くんも待ってますから」
「ああ」

 扉を押し開け、身体を半分ほど出した所で俺はあることを思い出した。

「深町。この前はすまなかった。その――あんなことするつもりじゃ…」
「いえ、私の方が悪かったんです」

 深町を凌辱しながら、悲鳴をあげていたのは俺。
 慰めて欲しかったんだ。慈しんで欲しかった…愛して欲しかったんだ。
 それに感づいていたのだろう。抵抗しなかったのは深町の優しさ。
 最後の最後になって、気付くなんて。

「あの…真部くん。君はもう大丈夫ですね」
「え?」
「魂の色。真っ白ですよ」

 心から嬉しそうに微笑む深町を驚いて見返した。俺の魂の色が? 俺はもう、死なないのか?

「……そうか。あんたのお陰だな」
「そんな、私は何も…」
「いや、あんたが最後まで俺を気遣ってくれたお陰だ。感謝してる」

 うっすらと深町の目に涙が見えたのは気のせいだろうか?

「幸せなんだよな、姉貴は」
「ええ。だからもう、君も幸せになっても良いんですよ」
「あんたもな」

 驚いたように開かれた瞳が嬉しそうに細められ

「そうですね」

 幸せそうに微笑んだ深町がとても愛しくなった。

「深町」
「はい?」

 深町の腕を軽く掴み、かしいだ身体を引き寄せながら唇を寄せる。

「――― 真部くん?!」

 俺がそんなことをするなんて予想もしていなかっただろう深町は、慌てて身体を引き離そうとした。それを許さずそのまま優しく抱きしめる。寄せられたぬくもりに諦めたのか深町の抵抗が弱くなった。

「幸せになりたい。あんたと一緒に」
「真部くん……」

 同じ過去を持つもの同士が傷を舐めあうのではなく。
 同じ過去を持つもの同士だから与え合える愛情がある。
 そして何より、強くて優しい深町が俺は欲しい。

「そうですね。君と一緒に幸せになりたい」
「……良いのか?」
「ええ」

 やんわりと微笑んだ深町とさっきより深いキスをする。

「おじさ〜ん?」
「る、るるるるる…琉宇くんっ?!」

 なかなか戻ってこない深町に痺れを切らしたのか、琉宇が廊下の扉を開けた。慌てて俺から身体を離す深町が妙に可愛く感じられる。

「あれ? 真部さん?」
「えっと、これは……そのー……」
「じゃあな、また来る」

俺は深町家の扉を大きく開け、新しい日常へと歩き出した。



― end ―

真部×深町です。
雨野の中であまりにショックだった真部×深町を
雨野の脳内で補完してみました…が、微妙な話に (爆)
本編のいろんなルートをいじり倒してる気がするので
色々アヤシイ所もあったり。
琉宇くんなんかここの場面ではかなり耳が良いはずなんで
真部と深町の会話筒抜けなはず…ま、いいか (オイ)

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